2018年(平成30年)例会報告


7月例会ご報告


「平成30年を振り返る~現代若者考~」話題提供:森本陽子

 

「平成」の年号を使えるのも一年を切った今、この30年を振り返りながら、とくに若者たちに顕著にみられる変化について話題提供をしました。主な参考資料は、タイミングよくリリースされた「現代若者考・レポート」から抜粋しました。元「アクロス」編集長立澤芳男氏の第一回と三回からの報告書です。

 

合わせて、「子どものまま中年化する若者たち」鍋田恭孝(幻冬舎新書)や、「データで読む平成期の家族問題」湯沢雍彦(朝日新聞出版)、同じく「データで読む家族問題」湯沢雍彦、宮本みち子(NHKブックス)などを参考に、データ分析結果の紹介。また「日本の若者はなぜ希望を持てないのか」鈴木賢志(明治大学国際日本学部教授)の文献内から「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」(内閣府2013)の紹介などを基本資料として、議論を進めました。 

 

最後に『子ども達が親に「別に・・・」しか言わないワケ」石田志芳の巻頭文「大人たちへ」(16歳からのメール)を朗読、立ち位置を変えたところからとらえなおしをしてみました。

 

詳しくは、「現代若者考・レポート」をご参照ください。

http://www.hilife.or.jp/wordpress/?p=14186

 

http://www.hilife.or.jp/wordpress/?p=14275

 


6月例会ご報告


「遺伝子検査(解析)技術などと倫理のかかわりについて」話題提供:山森俊治さん

 

長年の研究テーマでもあり、その専門性を活かした職場で活躍を続けてこられ、現在は若手学生たちへの教育に時間を割いておられる山森さんによる話題提供。このテーマは何回か実施をさせていただいていますが、日々、年々進化、拡大をしているように思います。

主に遺伝子検査というと新型出生前診断技術の進歩による胎児異常発現の有無が安易かつ低価格で実施されるようになってきた。現在、生命の選別や選択がより身近になり、倫理課題として大きくはなってきたが、議論の声はあまり聞こえてこない。

相模原殺傷事件が突き付けた「障害者無用論」とともに、生命操作技術進展の先だけを注視する動きは、社会そのもののありようを根底から揺るがす危険性をはらんでいるように思われる。

人間の生命にかかわるあらゆる問題を最新技術のみならず、事件や出来事から学び、日常的に議論の場を設けていく必要を改め強く感じます。

なお、時間が足りずに後半部分とくに遺伝子と人の性格や性質の特質への影響など、攻撃性や暴力性への影響部分を再度学びたいというご参加者からの声がありましたので、年内再度実施をしたいと思っています。(ご報告:森本)


5月例会ご報告


5月26日、成蹊大学にて開催されたドキュメンタリー映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」(佐古忠彦監督、2017年)を見ました。戦後の米国占領下の沖縄で米軍の圧政と闘った抵抗運動のシンボル、瀬長亀次郎の信念を貫いた人生を追った作品、今の時代に見られない「政治家像」と「人物像」が見どころで、監督は「筑紫哲也NEWS23]元キャスター。(映画紹介文より)

 

ご参加いただいた3名の方より感想文をいただきましたので、全文をご紹介をして、ご報告とさせていただきます。感想文をお寄せいただいた方々、ありがとうございました。

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佐古監督はTBSのニュース番組でおなじみのキャスターで故・筑紫哲也さんの影響を受けている方でした。映画鑑賞後の解説の中で筑紫哲也さんのお名前を久しぶりに耳にし、そういえば筑紫さんが活躍されていたころニュース番組を見るのが楽しみで、ニュース番組の梯子をしていたことを懐かしく思い出しました。筑紫さんだったら昨今の情勢をどのように伝えただろうかなどと考えました。

 

沖縄には31の米軍基地がありその総面積は県総面積の8%、本島にあっては15%に上り、国内の米軍専用施設面積のうち沖縄にある米軍専用施設面積は70%を超えるということです。私たちには想像しがたい日常があることは考えに難くないです。唯一の地上戦が行われ多くの犠牲を強いられ、戦後27年間にわたり米軍に占領される中で、圧倒的に住民の支持を得ていったという瀬長亀次郎。言葉に力のある人でダイナミック、多才な個性を持つ雄弁家で、なおかつ庶民性も兼ね備えていたという「亀次郎」ドキュメンタリーの映像から垣間見るその風貌や受け答えの様子からも、その人間力は十分に伝えわってくるもので、おそらく一回会ったら忘れられない存在になりそうです。今の時代だったら、いったいどんな政治家になったでしょうか。2001年、94歳で亡くなるまでの間に2回逮捕され投獄されますが、「不屈」の言葉を愛する亀次郎は、笑顔で出獄し、多くの市民の歓迎を受け、那覇市長になりますが、瀬長布令により市長の座から追放されます。被選挙権を回復しその後、1990年の衆議員議員勇退まで、国政で活躍します。

映画の中で印象に残ったのは以下のような「亀次郎」言葉です。

民主主義を嵐から守る。

民主主義を嵐から守り、生活を守る。

沖縄には、この国の矛盾が詰まっている。

アメリカにとっても、沖縄統治は合理性を欠いていたため、アメリカらしからぬ高圧的な統治になっていた。

アメリカは、比類なき非礼なやり方を示した。

人間力の勝負、必ず正しいものが勝つという歴史の鉄則がある。

米軍とも住民とも直接対話をするなかで、日本への返還を望むのは自然の流れだった。

過渡期にあった民主主義は、新たな段階を迎えた。

利己心を捨てよ。

 

沖縄問題にはこの国の矛盾が詰まっているという言葉は、ほかの問題にも置き換えることができ、原発問題にも過労死問題にもこの国も矛盾が詰まっています。これらの言葉は、まさに今、顕在化している問題にも通じるものであると深く感銘しました。

民主主義を志向するのであれば、民主主義が成熟するための運営コストが必要であり、現在の日本では意思決定の方法として、多数決であることが決まってはいるものの、やはり、プロセスが重要であることをあらためて強く感じました。

直接対話を重ね対立するだけでなく、いかに折衝できるかお互いの妥協点を探りながら決定していく、そのプロセスを踏むことで、民主主義を自ら獲得することができるものです。意見を述べる、主張する、意見を聴く、主張を聴く、という基本的なことの実践が難しくなってきている現実に、目を向ける必要もあるようです。そのことに、私たちは時間を費やすことに、価値を見いだせるのだろうか、価値を見いだせるような暮らしが失われて来ているのではないだろうかと思いました。

働き方改革に関連した運動に身を投じている今の私にとっては、まさにタイムリーな示唆を与えてくれるもので、期待して観に行って、期待を裏切らない映画だったといえます。ありがとうございました。(Y・K)

 

 

見たい見たいと思っていたかめじろーに会えました。本当にありがとうございました。 しかもなんとまぁ、今や人気の落ちることのない安倍ちゃんのお出になった大学で、とは。

 

並木の素敵なキャンパス入口でした。

かめじろーは小さな弱い力だから、結集しなくてはいけないのだと心から思って、その牽引役をしていたのだと思いました。

本当は今の時代もきっといるのではないかと思っています。 しかし、うまく見い出し、引き上げることができないのです。 あちらこちらで頑張っている人やグループも多いように思うのですが、これがなぜか横のつながりがうまくない。 そのためにかけた時間・使った労力に比べ、効果が今ひとつ上がらない。いや一つ二つではもうないかも。

私はカンボジアに行った年、ポルポト時代の幹部がつかまり、ようやく裁判が開けるという年でした。

ここ数年前に日本でもひとしきり話題になったアンナ・ハーレント。 彼女が出したアイヒマンの傍聴後の報告は、「凡庸の悪」だったと記憶しています。

そして、私は今日本中の多く、特にエリートと言われる人々の中にも、その「悪」が浸透してしまっているのではないか、 と感じています。 だから私たちは一人一人が自分自身で、問いかけなくてはいけない。「 自分がやっていることは、果たして全体から見て、あるいは大きな時代の 3世代、5世代先を見据えた時に、本当に大丈夫なのだろうか。」 と、うまく言えませんが、そんなことを思い、自身でもぼんやり考えていきましょう、って思っています。

それこそ、かめじろーのようにしっかりと本を読み考え、人を惹きつける言葉と文章力と魅力が少しでもあれば、それこそみんなに呼びかけたいくらいです。(MK

 

 

上映内容等:http://www.kamejiro.ayapro.ne.jp/

予告編:https://www.youtube.com/watch?v=rcRTzs9Og4k

 

更に、上記大学で上映後、TBS NEWS(国際)(2018530日)によるとTBSテレビが制作したこの映画が世界最大級の映画祭のドキュメンタリー・歴史部門で銅賞〈サーティフィケイト〉を受賞したとのこと。

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3382773.html

 

 瀬長亀次郎についてはその名を聞いていたが、時間をかけて沖縄の戦後の歴史と米軍支配に対し「不屈」の精神で闘った彼の生きざまについては勉強をしたことがなかった。

今回の上映会参加が大変良い勉強の機会となった。

 上映前のパンフレットを見た限りでは、特定の政治集団やマスコミによるプロパガンダ映画かと誤解していたが、作品を観て、全くの思い違いであり、沖縄戦後史や現在の沖縄基地問題を亀次郎の生きざまを通じて深く考えさせられる優れた映画であった。

佐古監督は「本土の人の認識から沖縄の戦後史がすっぽり抜けている。そこに思いを致せば、沖縄と本土の、溝とか温度差と言われるものが埋まるきっかけになるのではないか」と思い、作品を作成したとメディアのインタビューで答えている。その目的は十分果たされている映画であると感じました。是非、多くの人々に観て頂きたい作品です。(S・Y)

 


4月例会ご報告


今回話題提供をしていただいた久多良律子さんとは、ご友人とともにご参加くださった「練馬つながるフェスタ2018」のイベントがご縁となりました。ご自身が今年春325~26日に聴講生として学ばれた第2回「スピリチャルケアサポーター養成講座」の内容のご紹介をいただきました。この学びが久多良さんにとって、大変影響力があったことを十分にうかがわせる熱意溢れるご説明内容でした。

 

講座は2日間ながら、まずそのテキストの分厚さに圧倒されました。久多良さんは抜粋をつくられ、2025年にむけての社会動向、地域包括ケアシステムの導入など社会面からの説明のあと、現代医療現場での医療従事者たちの現状、自然死の姿を知らず、死についての教育の欠如がみられることをあげられました。また長命な県ほど健康寿命の期間が短いという逆説の指摘からは、現医療の仕組み(延命治療重視)の事情が見えてもきます。

 

また病は、肉体面、社会面、精神面に及ぶ苦痛でありながら、どうしても身体疾患にのみ目がいってしまう現状があります。しかしながら、最近は全人的苦痛(トータルペイン)としてとらえ、チーム医療として病を取り巻く各職種の連携がみられるようになりました。

 

最後は、「死」そのものに触れられ、死に行く過程(否認—怒り-取引-抑うつ-受容)を通して、死への学びと死生観の醸成に至るまでの道筋を暗示してくれました。

 

3回の講座は77~8日、定員40名募集中。https://peatix.com/event/376015

講師陣:玉置妙憂(介護デザインラボ理事長、空海記念病院看護師長、僧侶)

星野哲(立教大学社会デザイン研究所研究員、元朝日新聞記者)

保坂隆(保坂サイコオンコロジー・クリニック院長、聖路加国際病院診療教育アドバイザー、聖路加国際大学臨床教授)他

先日私自身、「臨床倫理コンサルテーションの活動と役割」北里大長尾式子准教授の講義を聴く機会がありました。

 

ここでも、現在の医療現場での職域ヒエラルキーがもたらす大きな弊害が述べられていました。医師は、患者の「診断と治療」の専門医、すなわちリスクを避け、技術を磨くことが第一。看護師は、「安全、安楽、自立」を目指す。立ち位置と価値観の違いから自ずとバトルが起こるものの、議論があるのは良い方で、支配が働くと諦めが充満し、結果、職場は疲弊し、仕事に関しての姿勢は言わずもがな。そこで病院倫理委員会コンサルタント連絡会議なる組織横断的グループの必要性が求められ、事務職も入れた患者のトータルケアに関わる動きが見え始めたことは、遅きに失した感は否めないものの、医療現場の今後に期待したいと思います。(報告:森本)


3月例会ご報告


いのちをめぐる“語り場”「NHKハートネットTV 生命操作 ケーススタディ30」をもとに、資料を参考として新規にご参加の2名の方を交えて議論を行いました。

 

まずNHK福祉ポータルハートネット「生命操作―復刻版―」のトップページにある以下の文面を共有しました。当会の発足にあたる巻頭の言葉とも共通の価値観を感じますので、全文を載せます。

生命操作 ー復刻版ー


20世紀後半の生命科学の進歩とともに、生殖技術、移植医療、遺伝子治療などの新しい技術が医療の現場に次々に導入されています。こうした生命操作を、個別の問題としてだけではなく、誕生から死にいたるまでの一連のプロセスのなかで考えてみると、いのちとは何か、生きているとはどういうことか、私たちが今までごく当然のように思っていたことが、簡単には説明できなくなっていることに気がつきます。

私たちは、生命操作について、どこまで知らされているでしょうか?
研究、技術開発の進歩に、私たちの感覚は追いついているでしょうか?

専門家の理解と、私たち市民の理解とのあいだには、数十年の時間差とギャップが生じています。これを専門家の問題であると、無関心でいられる時代はすぎました。生命操作は生命そのものの概念を大きく変えてしまう、パンドラの箱かもしれません。そして、その箱をあけるのは、医療の進歩をのぞんできた、他ならぬ、私たち自身でもあるのです。なぜその技術がほしいのか、その結果なにを得てなにを失うのか、その選択は社会にどのような影響をもたらすのか。技術を受け入れるかどうかも含めて、私たちは選択を迫られています。

このページは、私たちの生命観そのものを問い直し、生命操作に対する新たな規範を見いだすことをめざしています。まず、今、世界で起きている生命操作のケーススタディーをお読みください。

 

ケーススタディ30はすべて実際に起こった出来事であり、その中でも特に関心が高いと思われる「延命」と「安楽死」の実例のケースの話合いに入りました。

 

取り上げた延命では、24番目のケーススタディとなる1975年米国ニュージャージー州カレン・アン・クラインのケース。生命維持装置の取り外しを患者のプライバシー権利に基づいて認めた初めてのケースでありながらも、人工呼吸器を取り外した後、自発呼吸を始め、その後9年余り、意識を回復することなく植物状態で生き続けた。

 

25番目は、「治療の停止を誰が決めるのか」

自立心と独立心の強かった患者への想い「彼女はこんな風に生かされていたいとは思っていないはず」と考え、生命維持装置を外させたいと願うミズーリ州に住む両親の法律との闘い。このケースは1990年には患者の死ぬ権利として植物状態の患者の栄養と水分の補給の停止を、本人の意思を示す明白な証拠を条件に認めた判決となった最初のケースでもある。また夫と、最後まで望みを捨てず栄養菅を外さないと考える両親との葛藤のケースも、その後の尊厳死をめぐる大論争の始まりとなった。

 

26番目は、「医師が死なせてくれる」

1996年、オーストラリアで世界最初の安楽死法「終末期患者の権利法」が施行された。

自殺装置と称するラップトップコンピューターの画面指示に従って、自ら命を絶つ安楽死は、その後歯止めが効かなくなる「滑り易い坂道」と論じられ、一年もたたずに廃止された。

 

27番目は、「自分で致死薬を飲みなさい」

「オレゴン州尊厳死法」は、医師は死を要請した患者に致死薬の処方箋を渡し、服用するかしないかは、患者だけが決められるというもの。

28番目は、「つらいから死なせてほしい」

オランダで容認されている安楽死は、本来ならば不治の病による耐え難い痛みとそれに伴う精神的苦痛を理由におこなわれてきたのが、純粋に精神的苦痛だけを理由にしたケースが認められた。2001年法律が成立し、その後オランダでは、安楽死件数が増加し、2012年一年間で4188人、全死者の30人に1人という数にもなっている。

 

 

いつかは終わりを迎える命、その最期まで、どうあり続けるか、いずれのケースも当事者として、自分の身に置き替え、それぞれの考え方を確認しあいながらも、課題の大きさに息詰まることもありました。(報告: 森本)


2018年2月例会報告


212日に開催された「練馬つながるフェスタ2018」に参加され、当会の活動に興味をもたれたお二人の新人を入れて、2月例会を24日に行いました。

 

そのうちのお一人がフェスタで人工呼吸器のことを知りたいとおっしゃていたこともあり、以前実施をした「風は生きよという」のPR版をお見せし、例会をスタートすることに。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=29&v=6lpShtJQdqo

 

また、今年のイベント内容について議論を進めるために、福祉ジャーナリスト浅川氏の講演VTRとやや詳しい資料(「地域包括ケア」の歩みと、解決すべき課題)を参考に話合いをしました。

 

浅川氏の講演VTRはYoutubeで見ることができますので、よろしかったら15分ほどですのでご覧いただければと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=vES8R92OQd0

 

この4月から人生の最終段階(終末期)の医療・ケアに関する指針改正が行われることもあり、終末、医療、ケア、福祉、地域などをキーワードにみなさまとイベント内容を作り上げていきたいと思っています。先日の新聞報道(読売224)にも、これから「最期まで生き生きと過ごすために、人生の最終段階についての対話を繰り返す文化が必要」とあるクリニックの医師が述べていましたが、まさしく団塊世代が後期高齢者となる2025年に向けて、自宅はもちろんのこと、その他病院、介護施設など、広い意味での“わが家”をどうつくっていくことができるのか、引き続きみなさまと考えていきたいと思っています。

 

 

次回例会は、317日(土)午後の時間を予定しております。


                2018年1月例会報告


本年度初例会は、遠足企画として当会とも関係の深い佐藤修さん主宰のコムケアに参加をしてきました。「病院の歴史から日本の医療を考える」の話題提供者福永さんは、何と51ページものカラー資料を用意してくださり、熱弁を振るわれました。病院の成り立ち、歴史そして現在の医療業界の現状など大変面白い講演でした。翌日には主宰者佐藤さんが早々と報告をあげてくださいました。ご了解をいただき、彼の報告をみなさまにお届けしたいと思います。

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話題提供者の福永さんは、著書の「日本病院史」のダイジェスト版の小冊子(なんと51頁)まで用意して下さり、そのエッセンスを話してくださいました。

最初に総論的な話をしていただき、それを踏まえて参加者の関心事を出してもらいました。

テーマがテーマだけに論点も多く、福永さんは大変だったと思いますが、参加者の関心に重点をおいた通史を話してくださった後、今の医療やこれからの医療が抱える問題、たとえば病床数の削減や地域医療構想、地域包括ケアシステムなどについて、いくつかの論点を出してくださいました。

話の内容や話し合いのやりとりは、とても要約できませんが、ぜひ福永さんの著書「日本病院史」(ピラールプレス社)をお読みください。

いろんな気付きをもらえるはずです。

 

ちなみに、福永さんの通史の紹介で印象的だったのは、単なる文献調査だけではなく、関連した場所を福永さんは実際に歩いて、いろんなことを気づき、発見されています。

写真なども見せてもらいながら、その話を聞かせてくださいましたが、それが実に面白かったです。

 

いつものように、私の主観的な報告を少しだけ書きます。

 

最初の総論の話は、とても示唆に富んでいました。

たとえば、江戸時代までの日本の医療は基本的に往診スタイルであり、病院ができたのはたかだか156年前というお話がありました。

医療のあり方、病気との付き合い方に関する根本的な考え方が、そこにあるように思います。

 

福永さんは、日本に西洋医学を紹介したオランダは、日本に「病院」を教えなかったと話されましたが、これはとても興味深いことでした。

教えなかったこともありますが、当時の日本人は、そういう発想がなかったのかもしれません。

 

日本最初の本格的西洋式病院は幕府が創立した「養生所」だという話も、私には興味深い話です。

私は、なぜ「ホスピタル」を「病院」と訳したのかにずっと違和感を持っているのですが、養生の思想と医療の思想は、まったく違うのではないかと思います。

つまり、病気観や治療観が違うような気がします。

日本の病院は外来と入院のハイブリッド型に特徴があるという話も、これにつながっているような気がします。

 

明治以降の近代病院に宗教の基盤・背景が薄いという福永さんの話も、私にはとても重要な意味があると思いました。

日本では宗教というと教団宗教と受け取られますが、宗教を人が生きる意味での精神的な拠りどころと捉えると、それはまさに健康や病につながっていきます。

日本は、世界的にみても、精神医療の隔離傾向が強いように思いますが、これもこのことと無縁ではない気がします。

私には、これは、これからの医療を考える上で、とても大切なポイントだと思えます。

 

日本の病院数は民間病院が多いこと、にもかかわらず、国家による規制があって、病院の病床増床を病院が自由に決定できないなど、経営の自由度が少ないことも、日本における医療政策の基本にかかわることです。

この辺りも、ていねいに本書を読むといろいろと気づかされることは多いです。

今回のサロンでは、そのあたりを深掘りすることはできませんでしたが、いつかテーマに取り上げたいと思っています。

 

地域包括ケアシステムに関する話も、とても示唆に富むものでした。

福永さんは、医療での「地域」という言葉には注意しなければいけないと話してくれました。

そして、「地域」は地理的な「場所」(ローカルやリージョナル)ではなく、(人のつながりを軸にした)「コミュニティ」を指していると考えると、地域医療を進めて行くときの概念が明解になると話してくれました。

とても共感できます。

地域は、統治概念ではなく、生活概念で捉える必要があると私も思っています。

そして、豊川市の事例も踏まえながら、地域包括ケアシステムの話をしてくれました。

 

 

関連して、参加者から「我が事・丸ごと地域共生社会」構想の話も出ましたが、ここでもだれが主役になるかで全く違ったものになる可能性があります。

 

他にも紹介したい話はいくつもありますが、ぜひ「日本病院史」をお読みください。

 

案内でも書きましたが、病院や医療を通して、社会のさまざまな問題、が見えてきます。そしてそれは、私たち一人ひとりの生き方の問題にもつながってきます。

参加者のひとりが、結局、私たち一人ひとりが最後をどう迎えるかという看取りの問題につながっていると発言されました。

私もそう思いますが、まだまだ医療を受動的に捉えている人が多いように思います。

 

最後に、私も一言、中途半端な話をさせてもらいました。

コミュニティや地域社会の大切さが言われだしているが、それらは「どこかにある」のではなく、「自分の生き方で創りだしていく」ものだと考えることが大切ではないか。

 

話し合いで異論がぶつかりあった点もありますが、医療問題はやはり言葉の応酬ではなく、問題をしっかりと理解していくために、総論を踏まえて、自分事を踏まえて、個別テーマごとに連続で話し合う場を持たないといけないと改めて感じました。

そういうことができるように、少し考えてみたいと思います。

 

福永さん

そして参加してくださったみなさん

 

ありがとうございました。(コムケア主宰 佐藤修氏の報告より)